コミュニケーションの手段
屋外広告物法という法律によって定義されている「屋外広告物」も看板の仲間ですが、ここではより広い意味での、コミュニケーションの手段としての看板の話をしましょう。
情報の送り手と受け手がいて、コミュニケーションがあります。コミュニケーションの手段(メディアと呼ばれていたり)は様々です。
テレビ・ラジオや新聞などのマスメディア。雑誌などの印刷物もあります。看板はそのコミュニケーションの手段のひとつと位置づけることができます。
情報の送り手は、ときに政治家や芸術家、生活者としての個人であるときもありますが、一般に企業や役所などのような団体(組織)であることが多いものです。
他のメディアと同様、看板もまたその送り手が、受け手に対してなんらかの行動を期待して企画制作されます。
看板の歴史
日本では藤原京から平城京頃の中心地でお店の標としてつけられていた牒が標牒(標牒)と呼ばれ使われていました。この頃の法律だった、大宝律令(701年)の修正版、令義解(833年)では、"市では、商品の標を立て題を示すこと"が義務づけられていました。この標(標識)が看板の始まりとされてます。
その後、平安期にはのれんが使用されるようになり、鎌倉末期には木簡から、簡板と呼ばれる紙の発明以前に、文字を記した竹や木の札が使われるようになります。この頃になると絵だけではなく文字による屋号がかかれるようになったことで現在の看板に近くなってきています。
そして室町時代から簡板・簡版(かんばん)として名前も定着し、桃山時代にはのれんに屋号や商品名が入れられて書かれる言葉や絵もも商標としての性格が強くなっていきました。
その後、安土桃山時代末期~江戸時代頃に、看(み)せるための板(いた)ということで看板(かんばん)と言う名前になり、それが定着していったと考えられています。それ以前は"鑑板"の文字もあてられていました。